ABOUT

プロフィール

福田 玉庭

自身の作品創りを生涯の目標とし、
未来を担う子どもたちへ
この学びがささやかな贈り物となるよう
日々を誠実に健やかに、愛をもって過ごしていきたい。

 略歴

埼玉県出身
小1〜小6 近所の書道教室へ
大学卒業後、大手証券会社に入社
仕事をしながら
夜間に書道の専門学校(日本教育書道藝術院)とイラストの専門学校(セツ・モードセミナー)に同時に通い
書道と絵の道を目指す

日本教育書道藝術院所属
全国公募 東京書作展(文化庁後援)東京新聞賞等
東京書作展審査会員
同人展審査会員
支部連合審査会員

書作品制作、商業書道等
書道教室「書の庭」主宰(埼玉県越谷市、川口市東川口)
一男一女の母

 個展・受賞歴

小4 全国競書大会 毎日小学生新聞社賞(於:東京都美術館)
小5 全国競書大会 理事長賞 (於:東京都美術館)
2005、2006 東京書作展 特選、優秀賞(於:サンシャイン美術館)
2006 院内書初誌上展 本院生徒の部 大賞
2006 院内書作展 東京新聞賞 (於:銀座セントラル美術館)
2007 東京書作展 東京新聞賞、特選
2008 同人書作展 優秀賞 (於:国立新美術館)
2010 掛川市民芸術祭 協会会長賞 (於:二の丸美術館)
2014~東京書作展 依嘱出品
2015 院内書初誌上展 準 同人の部 優秀賞
2015 同人書作展 奨励賞(於:国立新美術館)
2016 院内書初誌上展 準同人の部 優秀賞
2016 同人書作展 優秀賞(於:国立新美術館)
2017 院内書初誌上展 準同人の部 優秀賞
2017 同人書作展 準同人の部 東京新聞賞(於:国立新美術館)
2018 同人書作展 同人の部 審査員特別賞(於:国立新美術館)
2019 同人書作展 無鑑査の部 審査員特別賞(於:国立新美術館)
2019 書初め誌上展 同人の部「少字数」優秀賞
2020 選抜作家展 東京新聞賞(於:銀座セントラル美術館)
2020 東京書作展 特別賞候補(於:東京都美術館)
2020 書初め誌上展 同人の部「漢字」特選
2021 同人書作展 大渓洗耳賞(於:国立新美術館)
2021 東京書作展 依嘱の部 特別賞候補(於:東京都美術館)
2021 書初め誌上展 同人の部 大賞
2022 同人書作展 審査員特別賞(於:国立新美術館)
審査会員の昇格
2022 東京書作展 依嘱の部 特別賞(於:東京都美術館)
審査会員の昇格
2022 書初め誌上展 同人の部 特選

 

【個展・グループ展】
2007 「妄想装画」イラスト (於:ゑいじう 東京・四谷三丁目)
2007 「3人展」イラスト (於:フレッシュネスバーガー 東京・曙橋店)
2009 「本の市」参加 イラスト (於:cafe yuzuri 埼玉・久喜)
2009 個展 「空には本」書道・イラスト (於:sora cafe 名古屋)
2011 個展 「佇い」書道 (於: 茶菓きみくら 静岡・掛川)
2012 個展「作品展」書道 (於:茶菓きみくら 静岡・掛川)
2015 書道教室「書の庭」作品展 「はじめての夏」 (於:POLUS中央グリーン開発株式会社様)
2016 書道教室「書の庭」作品展 「創る、未来」 (於:POLUS中央グリーン開発株式会社様)
2017 先生&生徒による作品展示 (於:Cafe803  埼玉県越谷市)
2018 まちかど書道展(合同出品)(於:cafe803 越谷市)
2019 書の庭作品展(於:cafe803 越谷市)
2022 書の庭作品展(於:cafe803 越谷市)
2023 書の庭作品展(於:cafe803 越谷市)

 

 商業書道・掲載メディア等

「ぎん六」店舗ロゴ
「いもんちゅ 別邸」店舗ロゴ
「ゆるり屋次郎」店舗ロゴ
お茶パッケージ商品ロゴ
和菓子「恵菓」店舗ロゴ

パレットプラザ 年賀状カタログ 筆文字  2007、2008 株式会社プラザクリエイト様
パレットプラザ 年賀状デザイン 2013             〃
郵便局EMS(国際スピード郵便) カレンダーイラスト
「かんたんラクラク年賀状」2013  インフォレストパブリッシング株式会社様
「かんたんラクラク年賀状」2014      〃
「筆まめ」2014  株式会社アスキーメディアワークス様
「特撰年賀状」2014 株式会社晋遊舎様
「特撰年賀状」2015    〃
「特撰年賀状」2016    〃
「和の趣  未どし版」2015 株式会社技術評論社様
「和の趣 申どし版」2016    〃
「Windows100%」2016.1 年賀状特集 株式会社晋遊舎様
「かんたん 和年賀状 酉どし版」 株式会社技術評論社様

【デザイン】
うちわデザイン 伏見上野旭昇堂様 2014・2015・2016
「福の庭」シリーズ 食器デザイン 前畑陶器株式会社様
「日々の力」2016年度 日めくりカレンダーデザイン SYD様
カラリオプリンター【PF-81】年賀状デザイン セイコーエプソン株式会社様
郵便局ネット/スマホで年賀状 申どし
郵便局ネット/スマホで年賀状 酉どし
郵便局ネット/スマホで年賀状 戌どし
郵便局年賀状 酉どし
ファミリーマート 年賀状 酉・戌・子・丑・寅~

銀座ITO-YA年賀状 酉どし
「年賀の王様」 戌どし
PRINTBOY様 年賀状カタログ 
カメラのキタムラ様
富士フィルム年賀状印刷
他多数

【掲載メディア】
「静岡維新」フリーペーパー
「smile ring」コラム掲載  ポラスグループ中央グリーン開発株式会社様
「わたしスタイルLABO」インタビュー
「creator 2015」  株式会社宣伝会議様
「Cafe Latte」 コラム掲載

 自己紹介

★好きなこと
一人旅
金沢、京都、
沖縄八重山諸島:石垣島、竹富島、黒島、鳩島、小浜島、西表島、波照間島(島で出会ったご家族と一緒に現地のおじいさんのお宅にお邪魔してご飯や泡盛をいただき、ヤギ小屋の屋根に寝そべって見上げた星空が美しすぎて感動!)
フランス:パリ~プロヴァンス(アヴィニョン、アルル、エクスアンプロヴァンス、リル・シュル・ラソルグ、リュベロン地方ゴルド、ルシヨン)~コート・ダ・ジュール(アンティーブ、ニース、エズ、モナコ、)~モン・サン・ミッシェル、ジヴェルニー、オーヴェル・シュル・オワーズ…
雑誌「FIGARO」で見たゴルドの景色に惹きつけられ、ゴッホの足跡を辿りたく、わずかな退職金を握りしめて渡仏。
美しい風景と光と空気と名画と対話しながらの1か月弱の時間は、英気を養い、心身を浄化してくれました。

★敬愛する人:ゴッホ、マイケル・ジャクソン、尾崎豊、小沢健二、寺山修司(敬称略)

★得意なこと:ブリッジでダッシュ(だった)、お年寄りの(長い)話を聞くこと

★苦手なこと:平泳ぎ(記録小学生の時12m→中学で部の特訓で100m泳いだ!けどその後やはり泳げず)、カラオケ(音が見事に外れるらしい)

 

~書道の道に行く着くまでのmy story~

幼少の時は、おにごっこやかくれんぼが大好きで、よく転んで擦り傷の絶えない子でした。
よく遊びに行く公園の近くに「書道教室」の看板を見かけて
「行きたい!」と行かせてもらったのが小1の後半。
墨のにおいと何も考えなくていい時間は心地よかったです。
黙々と書く私に、あたたかく見守ってくださった先生にも感謝しています。

埼玉県の公立学校でしたので、私の時代も硬筆展・書初め展はありましたが
今のように大事(おおごと)にはとらえていませんでした。
書道教室を始めてからすぐ、こんなにも埼玉県は硬筆展・書初め展に熱心な人たちがいることに驚きました。

小3~中学まで、学年の代表に選ばれていましたが
通っていた書道教室で練習などなく、親は何事も干渉しないので
自力で書いていました。といっても、小3の時以外特にがんばって練習した覚えはなく。。

「県展」にも出品されていて、鴻巣とか春日部とかに観に行った記憶もあります。
でも、今でいうような県展の存在への認識はなく
県展で見る自分の作品は下手でした。やはり相応の対策練習が必要だったのだと今になってわかります。
センス云々ではなく、その課題をどれだけ書いたか、親のサポートによるところだというのも分かりました。
生徒さんの方がよっぽど上手でたくさん練習しています。

また、そこで今でいう県展の何賞とかあったのかな~と記憶をたどっても思い出せず
数年かけてやっと、私の時代には特別賞は存在していなかったと知りました。
そんな感じで薄っすら。。

中学では、校内で一番厳しく運動量が多いバレーボール部に入り
これまで通っていた書道教室は、部活に専念するため、
というか、部活の休みがお盆とお正月の年に5、6日ほどしかなかったので実質的に通うことができず(テスト前の部活停止期間は最低限あったと思います)
中学生になってあっさり辞めました。書道団体内では学年で1,2番、次は特待生だったのでもういいかなというのもありました。
3歳から習っていたピアノも辞め、部活に全力を注ぎました。

部活は、朝練、放課後練、週1は放課後練習後さらに小学校へ行ってママさんバレーと練習、土日は主に練習試合のハードスケジュールでしたが、
小3から通っていた塾と両立しながら休まずがんばりました。
私たちの代で初めて県大出場程度、
強豪チームや高校生と練習をしたり、今思うと顧問の先生が時間と熱意を割いて色々対策をしてくださっていたのだなあと。
(今でいう完全なブラック部です・・・)

でも、時間、体力気力の消耗で疲弊していったのだと思います。
仲間の反発等が生じ、そんな中でも私は平気だったので真面目に取り組みながら
個性豊かな仲間と面白おかしく、
がむしゃらにがんばること、我満強さ、恥を捨てる、周りに流されない等が身に付き、今の自分があると思います。
恩師に感謝しています。ユニークな仲間に恵まれたことも宝です。
そしてそれは、書道にもつながっていると思います。

この頃は生徒会を懇願されたり優等生に見られていた様だけど
自分の中では、多感ゆえの大きな劣等感のようなものをずっと抱えていて
誰にも気づかれないようによく一人で泣いていました。
小3の時、泣いてもしょうがないから笑おうと決め、
小5か6の時、こんな思いをしてることは自分を強くしていることなんだ、がんばっている自分を信じて好きになろうと決めました。
その時の情景は今でもはっきりと覚えています。

それを後々まで向き合い、自力で乗り越えてきたという経験が
私の礎となり、自信になりました。

だから、書道も絵もと模索する中、
二人目出産後のある時、

子ども対象の書道教室で

「心を豊かに、自信を育むお手伝いをしたい」

とはっきり気づくことができました。
子ども時代に色々な感情を抱き向き合い乗り越えてきたのは
私の個性であり、長年培ってきた力。

子どもたちの心に気づいて、必要であれば必要な声かけをし
ちょっとでも匙加減を入れてあげられることができるのでは。
それが、私の特技であり、できることなのではと気づくことができました。

本当の書道は内面ありき、気持ちが整っていることが前提だと思っています。
技術指導はもちろんのこと、
子どもたちの心をちょっとでもわかってあげられる大人がいることで、心が整えられることもあると思っています。
そしてそれが、書道上達の大前提になると考えています。

引退後は、今思えばいわゆる燃え尽き症候群のような、一気に気力が萎えてしまいました。

高校は部活がなく、勉強をというような高校で、何に励めばいいのか路頭に迷いました。
それでもスポーツ芸能コースのバレー部にお願いしてやってみようかと考えましたが
レベルが高すぎてすぐに諦めがつきました。

入試では上位だったらしいけど、入学後は意欲が出ずテストは最下位の方まで・・・
これまでは運動や書くこと創ることで自然と自分を表現できていたけど高校になるとそれがない・・・
(内申では体育と美術と国語が学年1番の評価だったらしい)
勉強にも身が入らず、このまま落ちこぼれていくのかなと思いました。

ここでは自分の口で自分を出していくか、勉強をすることなのだなと思いました。
また、今までと違って放課後自由な時間がある・・・望んでいた時間なのかもしれないけど何をしたいいかわからない、
塾も何となく行きたいと言えない・・・
友達は違う世界を楽しむようになり、私は何を・・・

自分探しの長い道のりが始まりました。

高2の時、父に「写真を撮って世界を旅したいから通訳してくれないか」と言われ
面白そう!と英語を頑張り、
土日も含め毎日のように自習室に通い、2年の時にはクラスコース内で1位になるまで勉強しました。

父の京都での楽しく充実したキャンパスライフに憧れを抱き、
私も同じ大学を目指して頑張りました。

高3の時、私には父と同じ大学は難しそうなのと、
実際に京都に行っていいのかなというのもあり
でも、東京で行きたい大学が見つかり、変わらず自習室に通いがんばりました。

結果、第一志望は補欠、第4志望まで落ちてしまい・・・
大きな挫折を味わいました。
京都の国公立は受かったけどそもそもそこに行きたいのか分からず
学部選びから色々混沌としていたと思います・・・
語弊があるかもですが何の興味のない大学に進学することにしました。

がんばったので、辛かったです。
でも、自分なりにやるだけやった、全て自分で決めたので納得感はありました。

部活と受験の経験や失敗を活かして、今教室を運営しています。
長い時間ではなく、集中と質。

・・・・・

たくさん、回り道、空回りをして、
社会人になってからある時急に、大きな転機が訪れました。
生まれ変わったような心地でした。
これまで20年間くらいあった心のつかえがとれ、心から笑えるようになりました。
神様からのご褒美だと思っています。本当に光が見えました。

そして、自分を取り戻すかのように
そういえば子どもの頃得意だった絵と書道を始めました。

仕事をしながら、夜間に週1~書道、週3~絵の専門学校に通う日々は(ちょっと着付けも)
1分も無駄にしたくないような時の流れで目まぐるしかったけど、自分の心に正直でいられ、楽しく充実していました。

徐々に、書道と絵を仕事にしていくことを目指しました。
書道なのか絵なのか、両方なのか、作品をかき、営業したりしました。

また、私が子供の頃は専業主婦が一般的な時代、
母は仕事で忙しく鍵っ子だったので、私は家で仕事がしたいというのも想定していました。

そんな最中、9年の交際を経て結婚、夫の転勤に伴い静岡へ。
仕事を辞め、書道も一旦退会し、静岡でも独自で仕事ができるように励みました。

3年間、静岡にいました。
いつまで静岡にいるのか、その後はどこにいくのか分からない、子どももと望む中、
今できることを精一杯していました。

静岡で営業をしたり、どの地でも子供がいても仕事ができるように、ウェルカムボードのネットショップを作り、イベント出店したり、制作・販売したりしました。
静岡に引っ越して数か月後に名古屋で個展、出産8か月後に掛川で個展もしました。

特に産後は、1年間、夜も2時間以上まとまって寝たことがなく(1歳の誕生日直前に明け方2時間続けて寝れて感動しました)
特別にわが子が非常に寝ない子だったのもあり、、
昼夜問わず、昼寝も4分(だったかな?)経ったら泣く、長くて40分しかまとまって寝ず、
夜中もちょくちょく対応、2時間通しであやすこともよくありました。

それでも愛おしく大事に育てすぎてしまったのか毎度毎度愛をもって対応し、
さらに、個展も控えているし、自分のやりたいことをしたくて仕方がなかったので
日中も寝た隙に、制作したり作業したり、抱っこしながらネットショップやホームページを作ったりしていました。

当時は、愛しいわが子と、自分のやりたいことへ意識が集中していたので
テンションが上がり疲れている実感は全くなかったです。

美味しい食べ物や、自然に触れ、アートに触れ、人の温かさに触れ、
私も夫も、これまで東京で心身酷使してきたので
静岡での生活はとても貴重で必要な時間だったと思っています。

そんなこんなで
育児と自分の仕事つくりを両立し目まぐるしい中、決して上手くいっていたわけではないけれど
前に進んでいこうとする日々を過ごしていました。

・・・略・・・

産後7年くらいは、子どもが夜も寝た隙にせっせと仕事や作業に勤しんでいました。
それでも夜中起きるので、仕事部屋と布団を行ったり来たりを繰り返していました。
二人目出産時は夫が1年上海赴任中、
自分は、なんとか仕事をもらえるように、いただいた仕事をなんとかできるようにという状況で収入も安定せずだったので、保育園に預けることができず(預けず自分で面倒をみたいというのもあり。それでも仕事を進めたいから下の子を保育園に入園させました。でも2日間、一人だけ一日中泣いていたというのを聞いて、退園しました。)
実家に子どもの面倒を見てもらっている間や、一時保育を利用したり、出産ギリギリまで、出産後もすぐ、育児の合間にせっせと仕事を進めていました。

その頃、ある時降りてきました。
自分は
「書道教室」と、「自分の書を探求すること」がしたい。

ずっと、書道か絵関係の何かを仕事にしたくて模索してきたけど

子ども対象の書道教室で「心を豊かに、自信を育むお手伝いをしたい」
「今の自分が想像できない書を生涯かけて書きたい」

ようやく気づくことができました。

そうと決まったなら行動、

二人目が6か月の時に日本教育書道藝術院に復帰、
1歳4か月の時に書道教室を始め、
子育てと、学院での書道の授業、毎月4種の課題、年3~4回の公募展の作品制作、書道教室、商業書道の制作と、奮闘しました。

師範を取得した日本教育書道藝術院は色々な面でもハードな学院で
続けていくには相応の覚悟が必要でした。

ましてや小さな子供が生まれた最中。。
正直なところ、休学中に他団体も検討しましが
ちゃんとした書道の技術を習得したいのであれば、相応に学べる場でないと自分も納得できない、
臨書ではなく、個性で書ける且つ作品性も習得できる団体はそうない、何より大溪洗耳先生の書が好き、学びたいと思いました。

私の昔からの一番の夢は、「いいお母さん」
子育ても自分でしたい。
仕事もしたい。
育児中以外は常に頭の中は教室で占めているようなところがあり昼寝なども一切せず、睡眠をけずってフル回転でした。

健康診断のE判定も1年半以上忘れてたり
幼稚園の面談でわが子にけっこうな問題があることを指摘されながらも

「自分の子より生徒さんのほうが心配です~」

なんて言って
先生が
え??な顔をされていたのを覚えています。。
(わが子を信じているということではありますが)

そんなこんなで自信のあった体力も、徐々に不調が出て、
コロナで学校休校になって初めて休むことを知った気がします。
自分の身体や子供との時間も大事にする必要があると考えるようにもなり
子どもと向き合う時間が増えました。

同時に、教室の方はオンラインを始め、その準備や対応に励みました。
周りの教室はゆったりペースでしたが、
zoomレッスン、添削、お手本の動画を一気に始め
子育ても色々盛り上がり中・・・夫は1年シンガポールへ。今まで以上に大変でした。

・・・略

まとまっていない文章ですみません。。
子供の時から積み重ねてきたことが、今の教室や書作につながっていると感じています。

・・・

生徒さんが大人になった時にこの書道教室での経験がちょっとした力になればとの思いを胸に、
子どもよりは経験豊富な人生の先輩として
「その子自身の心と書の成長」を大事にしながら
書道を通じて豊かな心を育んでほしいと願っています。

書道教室はある程度、個人のペースで進めることができるので
全国コンクールでトップを受賞するお子様から
普段の字が上手くなりたいお子様まで通ってくださっています。

一人一人の個性を尊重しながら
変化に気づき褒めながら、技術力をぐんと!つけてあげられるよう。
日々、書道教室創りをしています。