部活引退後は、今思えばいわゆる燃え尽き症候群のような、一気に気力が萎えてしまいました。
高校は部活がなく、勉強をというような高校で、何に励めばいいのか路頭に迷いました。
それでもスポーツ芸能コースのバレー部にお願いしてやってみようかと考えましたが
レベルが高すぎてすぐに諦めがつきました。
入試では上位だったらしいけど、入学後は意欲が出ずテストは最下位の方まで・・・
これまでは運動や書くこと創ることで自然と自分を表現できていたけど高校になるとそれがない・・・
(内申では体育と美術と国語が学年1番の評価だったらしい。当時県内学力5番以内の活気ある学校でした)
勉強にも身が入らず、このまま落ちこぼれていくのかなと思いました。
ここでは自分の口で自分を出していくか、勉強をすることなのだなと思いました。
また、今までと違って放課後自由な時間がある・・・望んでいた時間なのかもしれないけど何をしたいいかわからない、
塾も何となく行きたいと言えない・・・
友達は違う世界を楽しむようになり、私は何を・・・
自分探しの長い道のりが始まりました。
高1の終わりの時、父に「写真を撮って世界を旅したいから通訳してくれないか」と言われ
面白そう!と英語を頑張り、
土日も含め毎日のように自習室に通い、2年の時にはクラスコース内で1位になるまで勉強しました。
父の京都での楽しく充実したキャンパスライフに憧れを抱き、
私も同じ大学を目指して頑張りました。
高3の時、私には父と同じ大学は難しそうなのと、
実際に京都に行っていいのかなというのもあり
でも、東京で行きたい大学が見つかり、変わらず自習室に通いがんばりました。
結果、第一志望は補欠、受かるだろうと思っていた第4志望まで落ちてしまい・・・
大きな挫折を味わいました。
京都の公立は受かったけどそもそもそこに行きたいのか分からず
今思えば学部選びから色々混沌としていました。
何より、小さい時から抱えていた心の不安は大きかったと思います。
浪人は経済的にも考えられず、半ば自分の人生に諦めのような感じもありました。語弊があるかもですが何の興味のない大学に進学することにしました。
がんばったので、辛かったです。
でも、自分なりにやるだけやった、全て自分で決めてきたので納得感はありました。
・・・・・
たくさん、回り道、空回りをして、
社会人になってからある時急に、大きな転機が訪れました。
生まれ変わったような心地でした。
これまで20年間くらいあった心のつかえがとれ、心から笑えるようになりました。
神様からのご褒美だと思っています。本当に光が見えました。
そして、自分を取り戻すかのように
そういえば子どもの頃得意だった絵と書道を始めました。
仕事をしながら、夜間に週1~書道、週3~絵の専門学校に通う日々は(ちょっと着付けも)
1分も無駄にしたくないような時の流れで目まぐるしかったけど、自分の心に正直でいられ、楽しく充実していました。
徐々に、書道と絵を仕事にしていくことを目指しました。
書道なのか絵なのか、両方なのか、作品をかき、営業したりしました。
また、私が子供の頃は専業主婦が一般的な時代、
母は仕事で忙しく鍵っ子だったので、私は家で仕事がしたいというのも想定していました。
そんな最中、9年の交際を経て結婚、夫の転勤に伴い静岡へ。
仕事を辞め、書道も一旦退会し、静岡でも独自で仕事ができるように励みました。
3年間、静岡にいました。
いつまで静岡にいるのか、その後はどこにいくのか分からない、子どももと望む中、
今できることを精一杯していました。
静岡で営業をしたり、どの地でも子供がいても仕事ができるように、ウェルカムボードのネットショップを作り、イベント出店したり、制作・販売したりしました。
静岡に引っ越して数か月後に名古屋で個展、出産8か月後に掛川で個展もしました。
特に産後は、1年間、夜も2時間以上まとまって寝たことがなく(1歳の誕生日直前に明け方5時間続けて寝れて感動しました)
特別にわが子が非常に寝ない子だったのもあり、、
昼夜問わず、昼寝も4分(だったかな?)経ったら泣く、長くて40分しかまとまって寝ず、
夜中もちょくちょく対応、2時間通しであやすこともよくありました。
それでも愛おしく大事に育てすぎてしまったのか毎度毎度愛をもって対応し、
さらに、個展も控えているし、自分のやりたいことをしたくて仕方がなかったので
日中も寝た隙に、制作したり作業したり、抱っこしながらネットショップやホームページを作ったりしていました。
当時は、愛しいわが子と、自分のやりたいことへ意識が集中していたので
テンションが上がり疲れている実感は全くなかったです。
美味しい食べ物や、自然に触れ、アートに触れ、人の温かさに触れ、
私も夫も、これまで東京で心身酷使してきたので
静岡での生活はとても貴重で必要な時間だったと思っています。
そんなこんなで
育児と自分の仕事つくりを両立し目まぐるしい中、決して上手くいっていたわけではないけれど
前に進んでいこうとする日々を過ごしていました。
・・・略・・・
産後7年くらいは、子どもが夜も寝た隙にせっせと仕事や作業に勤しんでいました。
それでも夜中起きるので、仕事部屋と布団を行ったり来たりを繰り返していました。
二人目出産時は夫が1年上海赴任中、
自分は、なんとか仕事をもらえるように、いただいた仕事をなんとかできるようにという状況で収入も安定せずだったので、保育園に預けることができず(預けず自分で面倒をみたいというのもあり。それでも仕事を進めたいから下の子を保育園に入園させました。でも2日間、一人だけ一日中泣いていたというのを聞いて、退園しました。)
実家に子どもの面倒を見てもらっている間や、一時保育を利用したり、出産ギリギリまで、出産後もすぐ、育児の合間にせっせと仕事を進めていました。
その頃、ある時降りてきました。
自分は
「書道教室」と、「自分の書を探求すること」がしたい。
ずっと、書道か絵関係の何かを仕事にしたくて模索してきたけど
子ども対象の書道教室で「心を豊かに、自信を育むお手伝いをしたい」
「今の自分が想像できない書を生涯かけて書きたい」
ようやく気づくことができました。
そうと決まったなら行動、
二人目が4か月の時に日本教育書道藝術院に復帰、
1歳4か月の時に書道教室を始め、
子育てと、学院での書道の授業、毎月4種の課題、年3~4回の公募展の作品制作、書道教室、商業書道の制作と、奮闘しました。
師範を取得した日本教育書道藝術院は色々な面でもハードな学院で
続けていくには相応の覚悟が必要でした。
ましてや小さな子供が生まれた最中。。
正直なところ、休学中に他団体も検討しましが
ちゃんとした書道の技術を習得したいのであれば、相応に学べる場でないと自分も納得できない、
臨書ではなく、個性で書ける且つ作品性も習得できる団体はそうない、何より大溪洗耳先生の書が好き、学びたいと思いました。
私の昔からの一番の夢は、「いいお母さん」
子育ても自分でしたい。
仕事もしたい。
育児中以外は常に頭の中は教室で占めているようなところがあり昼寝なども一切せず、睡眠をけずってフル回転でした。
健康診断のE判定も1年半以上忘れてたり
幼稚園の面談でわが子にけっこうな問題があることを指摘されながらも
「自分の子より生徒さんのほうが心配です~」
なんて言って
先生が
え??な顔をされていたのを覚えています。。
(わが子を信じているということではありますが)
そんなこんなで自信のあった体力も徐々に不調が出て、
コロナで学校休校になって初めて休むことを知った気がします。
自分の身体や子供との時間も大事にする必要があると考えるようにもなり
子どもと向き合う時間が増えました。
同時に、教室の方はオンラインを始め、その準備や対応に励みました。
周りの教室はゆったりペースでしたが、
zoomレッスン、添削、お手本の動画を一気に始め
子育ても色々盛り上がり中・・・夫は1年シンガポールへ。今まで以上に大変でした。
・・・略
生徒さんが大人になった時にこの書道教室での経験がちょっとした力になればとの思いを胸に、
子どもよりは経験豊富な人生の先輩として
「その子自身の心と書の成長」を大事にしながら
書道を通じて豊かな心を育んでほしいと願っています。
書道教室はある程度、個人のペースで進めることができるので
全国コンクールでトップを受賞するお子様から
普段の字が上手くなりたいお子様まで通ってくださっています。
一人一人の個性を尊重しながら
変化に気づき褒めながら、技術力をぐんと!つけてあげられるよう。
日々、書道教室創りをしています。